自分と同じ誕生日で、こどもの頃からずっと憧れてる女性がふたりいる。1人目は、アニメ『カードキャプターさくら』の主人公・さくらちゃん。2人目は、ドラマ『白い影』でヒロイン役を演じていた竹内結子さん。わたしたちはみんな4月1日生まれの、ちょっと珍しい誕生日を持つ。
NHKで『カードキャプターさくら』の放送がはじまったのが1999年。 『白い影』が放送されていたのが2001年。どちらもわたしが小学生のときに夢中になって観ていた作品で、どこか運命めいたものを感じていた。なんせ、同じ日に生まれた女の子たちが主人公なのだから。
ずっとテレビを観ることを禁止されていたもんだから、そのせいもある。 『カードキャプターさくら』は不憫に思った親戚がVHSに撮って毎週送ってくれていたから多めに見てもらえて、『白い影』は病院が舞台だったから。どちらも病院勤めの両親はやっぱり医療ドラマがお気に入りで、それからどんどんヒステリックに変貌していった母親と唯一まともに会話ができた思い出として印象深い作品でもある。
わたしにとって、「こういうふうになりたい」と強烈に感じた主人公たちだった。アニメとドラマ、女児向けファンタジーと大人向けのかなりシリアスな作風、さくらちゃんと竹内結子さん。毛色がぜんぜんちがうようで、共通していたところがひとつ。それは、彼女たちの「ひたむきさ」だった。
20年近く経って、すっかり大人になってしまった今でもまったくその憧れは色あせていない。あんなふうになりたい。なれるはず。だって同じ誕生日だもん。ずっと、それがわたしの自慢だし、自信だった。占いの本を読むたびに、同じ誕生日の欄に見つける「竹内結子」の文字。そっと指でなぞっていた名前。
それなのに、なぜ。
『白い影』というタイトルは、レントゲン写真をイメージして付けられたそうだ。SMAPの中居くんが演じたこのドラマのメインの主人公である男性医師は、医師でありながら手の施しようのない難病を抱えている。彼がその生涯を終えるまで、後世の医療のために残し続けたものが彼の「白い影」そのもの。そして、彼の人生の最後に希望や、彩りや、優しさを与え続けたのが竹内結子さん演じる看護婦のヒロインだった。
もう20年も前のドラマなので、結末に触れることを許してほしい。中居くんが演じていた男性医師・直江先生は、「最後まで医者でありたい」との想いから、病気に殺される運命ではなく、自ら死を選んだのだ。だから、本当にびっくりした。最終回で、泣き叫んでいた竹内結子さんの演技が印象的だったから。「なんで、なんで」と問いかけていたシーンが目に焼き付いていたから。
「なんで?」とまさか自分が、届かない言葉を彼女のために口に出す日がくるなんて、思ってもみなかった。ニュースでの訃報を目にしてからのこの2週間、何度同じ言葉を繰り返し呟いて、何度涙を流したかわからない。
だれかに打ち明けて、ありきたりな答えが返ってくるのも嫌だったから、ひとりでひたすら『白い影』を観返すことにした。これまで知らなかったけど、竹内さんは当時20歳だったそう。本当にかわいかった。そんなにお若いときの作品だなんて気づかないくらい、完成されたお顔立ちで、あどけなさも残っていて。
転職してきたばかりの病院なのに、平気で直江先生に食ってかかるし、すぐ泣くし、ふくれるし。かと思いきや、末期癌で春を迎えられそうにない患者さんのために、真冬でもめげずに何時間も河原でタンポポを探す。見つけたら、心からうれしそうにぴょんぴょん飛び跳ねる。その様子を見ていた直江先生に、満面の笑みで大きく手をふる。
そうだ、こういうところだった、と思い出した。
わたしは、自分の感情を上手く表現できないのがずっとコンプレックスで、それは機能不全家族育ちではよくあることなんだそうだ。そして、そんな自分をどこかで認められたいとも、きっと思っている。「自由に感じて、それを出してもいいんだよ」って。
だから、思い切り泣いたり、笑ったり、怒ったりする人を目の前にすると安心するのだ。許されたような気になる。だから、ずっと彼女に憧れてたんだ。
どれだけ自分が泣くはめになっても、まっすぐにひとりの相手を想い続けた『白い影』。美味しそうに、幸せそうに目を細めてご飯を食べる姿が豪快だった『ランチの女王』。いつもぷりぷりしている姿がかえってチャーミングに見えた『不機嫌なジーン』。穏やかな微笑みの裏の葛藤が伺い知れた『いま、会いにゆきます』。
自分と同じ誕生日という運命を持つ人が見せてくれるたくさんの表情は、直江先生のそれと同じように、わたしにとってもずっと希望だったのだ。
彼女が亡くなってからというもの、あてもなく「愛」について考える日々が続いた。たとえば、昔の舞台では、恐怖とか、憎悪とかそんな象徴的なモチーフを演じることがあるはず。それで言うと、『白い影』で彼女が演じていた志村倫子という女性は、まさに愛の役だったから。
そして、やっとひとつの答えが出た。
愛は信じることと似てて、信じることはエゴとすごく似てて、そんなことについてここ数日ずっとぐるぐると考えていたけど、過去の自分がもう答えを持っていた。エゴを通していいのは祈り。愛にいちばん近いのは祈りだね。https://t.co/7S5xObe3b1 pic.twitter.com/USi9aTdbOi
— ひよぴ🐑🌹🧹生存戦略 (@hi4r1_xo) October 4, 2020
彼女は、当時小学生だったわたしに、愛の形を見せてくれた。それが例えお芝居の上でのことでも、脚本や、演出があってのことでも、わたしが目にしていたのは、まぎれもなく竹内結子さんその人だ。
今回のことを受けて、『白い影』の原作者のかたのインタビューが載っている本を取り寄せた。そこに書いてあった言葉に、なんだかマルをもらったようでまた泣けてしまった。
“圧倒的な悲劇の「死」に対抗できるものは、何もないけれど、唯一わずかに対抗できるものは「愛」なのだと思った。だから「愛」というものはすごく強いんだ。”
わたしひとりが口にしてなんになるなんて、卑屈なことは言いたくない。だって、もう言えないのだから。でも、大好きだって伝えてみればよかった。なにかでお目にかかれる機会があれば応募してみればよかったかな。時代錯誤だろうが、ファンレター書いてみたらよかったなあ。どれだけでも、彼女が教えてくれた愛を、彼女に伝えてみればよかった。
故人に対して触れないことが追悼である考えの人もいるだろうけど、こんなふうに思い出を噛み締めて言葉にすることで、どれだけでも泣き尽くすことで、想いが空に届かないかなとついつい願ってしまう。
だけど、まだできることはある。愛の形をちゃんと受け継いで、自分の周りの人たちを信じること。これからは自分が彼女の分まで泣いたり笑ったり怒ったりしてみること。
これを書いている今もなお、涙がとまりません。心からご冥福をお祈りします。
\ 書き下ろした主題歌です /