ず〜〜〜っと疑問に思ってたことがあります。
「ADHDでよかったマンガ」をはじめるときの記事にも書いたんですが、発達障害ってなぜか「天才が多い」って言われがちじゃないですか…?
前の記事で触れた「とあるアーティスト」とは、SEKAINOOWARI(セカイノオワリ)のFukaseさんのことです。
ADHDであることを公表している彼は、発達障害のこどもを抱えるファンからの質問にこう答えています。
ちょっと考えます。RT @tamagorooooo: @fromsekaowa うちの子、アスペ&ADHDです。
隠してはいないけど、なかなか理解してもらえない。
どうやったらわかってもらえるのか😭— Fukase(SEKAINOOWARI) (@fromsekaowa) April 14, 2020
あくまで、自分はですが、自分は自身がADHDであることを何かが出来ない時には使わないようにしています。やはりそれを引き合いに出すと顔をしかめる方もいらっしゃいますし、実際不平等に感じる人も少なくありません。なので、
— Fukase(SEKAINOOWARI) (@fromsekaowa) April 14, 2020
なので基本的に自分がADHDの話をする時は何かが出来る、所謂長所として、特技として自己PRとして話す事を当時は心掛けていました。もちろん、難しい事ですし、ひけらかすことに違和感を感じる方もいます。でもそのさじ加減は誰にでもある人間関係の範疇だとも思います。
— Fukase(SEKAINOOWARI) (@fromsekaowa) April 14, 2020
たしかに、「自己PRとして使う」というのは新しい意見ですよね。世の中には、こういったマイノリティーに対して「理解してほしい」「フォローしてほしい」といったスタンス自体に抵抗を感じるかたもけっして少なくないからです。
ただ、まだまだ価値観へのギャップはあるようで…。当時のこのツイートに対する反応をながめていたら、なんだか「人と違う特別な才能があるからそれでOK!」みたいなイメージだけが先行していることに気づいてしまったのです。
私の子ども(8歳男)は昨年ADHDと診断されました。初めは自分の子どもが発達障害と受け入れられずとても悩んでいました。しかし調べてみると、ADHDは天才病とも言われているようで、今ではADHDの子を産めてラッキーと思うようになりました。
— ゆ@EARTH (@ngayu3) April 14, 2020
それって、本当に当事者や周りの人たちににとって生きやすい世の中につながるんでしょうか。
そこで、この記事では「ギフテッド」とも呼ばれる発達障害者の才能について、シビアな目線で解説していきます!
あなたの、「なるほど、そういうことだったのか!」なんて発見につながりますように。
セカオワ・深瀬さんは本当に「ADHDの才能」だけで売れたのか?
SEKAINOOWARIのメインボーカルをつとめる深瀬智さん。メンバー内でも、もっとも多くの楽曲の作詞・作曲を手がけていることからも、その音楽的センスの高さが伺えます。
以前から、ライブのMCや雑誌のインタビューで、自身のADHDや閉鎖病棟での入院の経験について触れてきたようです。たくさんの苦しみから生まれた希望の曲に、ファンならずとも多くの人たちが励まされたことでしょう。
発達障害者には、感覚過敏を持つケースがよく見られます。
たとえば、視覚での情報が認識しにくい人は、その代わりに聴覚で情報を拾う習慣がついたりします。
音楽方面で活躍するかたが多いのは、そのせいもあるかもしれませんね。
また、注意力が散漫になってしまう代わりに、「過集中」といった集中しすぎる傾向を持つことがあります。
これも、楽曲制作やライブでのパフォーマンスに役立ちそうですよね。
だけど…。
わたしは、深瀬さんの「ADHDを特技(自己PR)として伝えよう」という意見が間違ってるとは思いません。
だけど、影響力のある人がそう言ってしまうことで、少なからず誤解されてしまう部分もあると考えています。
だって、深瀬さんが障害やトラウマを抱えつつ、アーティストとしてこんなにも活躍できている理由が、けっして「才能のおかげ」だけであるはずがないじゃないですか。
歌うこと、歌詞や楽曲に世界観を込めること、楽器を演奏すること。すべて、一朝一夕で実現できるものではありませんよね。
それに加えて、多くの人に届けられるよう、ビジネスとして「売れる」ような工夫をすること。そんな背景を想像したら、どれだけの試行錯誤を重ねてきたのだろうと気が遠くなってしまうのです。
そして、環境的な運による影響も見過ごせません。
たとえば、高校中退後に留学の選択肢があったこと。また、「セカオワハウス」と呼ばれるライブハウス・シェアハウスを所有していることからは、経済的に恵まれた状態であったことが想像できます。
ADHDをプラスにアピールしていく考え自体は、とても心強いものです。
深瀬さんをはじめとした著名人が発達障害者を公表することで、存在を肯定してもらえた気持ちになれたり、生きる勇気につながった人もきっと数え切れないほどいると思うんです。
だけど、やっぱりそれって「乗り越えた人」あるいは「乗り越えつつある人」だから言えることなんですよね。
自分にできること・すでに持っているものを見極めて、わたしたちにはとうてい考えつかないような努力でカバーした結果、「言えるようになった」はずなんです。
こわいのは、その過程をすっとばして「発達障害だとしても才能があるから大丈夫」と曲解して受け取ってしまう人の数。
そこで「めでたしめでたし」って終わっちゃうの、どうなんだろう。
発達障害の「ギフテッド」は結局、一長一短!
実は、わたし自身もADHDについて打ち明けたときに「でも、なにか特別な才能もあるんでしょ?」と聞かれたことが何度もあります。
ごめんなさい!ないです。発達障害を持つみんながみんな、特殊能力を持ってるとは限らないのです…!
先天的に、平均より優れた能力を持つこどものことを「ギフテッド」と呼びます。
知能や、共感力、正義感、芸術などのはるかに高い能力を「神様からの贈り物」に例えているんですね。
発達障害を持つ人にはこの「ギフテッド」が多いとも言われているんですが、どうもその話がひとり歩きしてるように見えるんですよね…。
たしかに、いわゆる「高学歴」とされる大学を出たかたにはADHDやアスペルガーを持っているかたもたくさんいます。企業している社長さんや、専門職のかたにもよく見受けられますよね。
でも、突出した能力がある人は、必ずなにかその逆で「できない」ことがあるはずです。たとえば、記憶力が良すぎたり、センスが達観しすぎてて周りには「協調性がない」なんて思われてしまったり。
そもそも、発達障害はそんな能力の凸凹によって判断されます。
ここでひとつ、あまり知られていないことをお話ししますね。
IQが高いなかでバラつきがある人も、IQが低いなかでバラつきがある人も、同じ「発達障害」としてわけられるんです。
仮に、どんな優れた才能があったとしても。バラツキが大きいこと、それ自体が社会で生きていく上での「障害」だと認められるわけです。
できることを伸ばして、できないことを補うことは、発達障害に限らずみんなにできる
わたしは、昔から本を読むのが好きで「文章が上手」と言われてきました。自分でもそうなんだと思っていました。
しかし、大人になってから発達障害の知能検査を受けて、その結果を見たとき。これまで信じていた世界がひっくり返るくらい、びっくりしました。
言語能力を含めたすべてのIQが、平均以下だと知らされたのです。

実際の診断結果のグラフがこれ。IQは100を平均として見るので、すべてがそれより下のラインでバラついていることがわかります。(IQが高い人はラインより上のゾーンでバラつきに大きく差が出ます。)
正直、すごくショックだったことは否定できません。だけど、それ以上に「わたしってすごいのかもしれない」と初めて思えたんです。
全体的な能力が低くても、すこしでも「得意なこと」があればそれを伸ばしていける。人と比べるのではなく、自分のなかで比べていいんです。
そういえば、誰にでも話しかけてしまうやっかいなクセは、営業で大活躍したこともありました(笑)
…でも、発達障害者はその差が大きいというだけの話。自分のなかで得意なことや苦手なことはだれにでもあるのではないでしょうか?
わたしは、障害があってもなくても、それぞれの強みを活かして、不得意をフォローしあえる世の中になればいいなと願っています。
そして、たったひとつ、自分に才能があるとしたら、それに気づけたことなんだと思います。
「書類を崩さずに詰める」とか、「他人のウソがだいたいわかる」なんてユニークなものばかりだけど、度々伝わってくる”それを活かしても活かさなくてもいいんだよ”というメッセージにほっこりします…。