時代が、どんどんと「多様性」を肯定する方向にシフトしていくなかで。
どこか、ひっかかっていたことがあるんです。
「じゃあ、多様性を受け入れられない人たちの多様性はどこに行くの?」って。
これからの社会を生きる上で大切にしたい価値観だからこそ、そこに生まれる違和感や葛藤もあります。
そんなばくぜんとした問いへのヒントを、プロ無職るってぃくんのアートワークから見つけた気がしました。
もくじ
ブロガーから絵描きに進化した男の子
わたしが彼と初めて顔をあわせたのは、もう何年も前のこと。
お仕事を介した共通の知りあいがたくさんいて、どこかのイベントに出向けばたまたま会って、「ああ!」と挨拶をして。
わたしは彼のことを好きだとも嫌いだともとらえていなくって、印象はずっと「イマイチよくわかんないな」だった。
いつか、そういう話をしたことがあったから、きっと向こうにとってのこちらも、そうだったんだと思う。
当時のネット界隈は、自分のブログを開設して広告収入を得る「ブロガー」の全盛期。
ライターをやってきたわたしにとってはなおさら、彼らを理解しにくいようなプライドもそこで邪魔していたのかもしれない。
ほら、テレビに出ている芸能人が、ユーチューバーにちょっと線をひきたがるみたいに。でも、実は、そっちのほうが格段に多くの人たちに見られてたりもして。
だから、いつも「ちょっと噛み合わないな」って思ってたし、それはお互いにそうだったし、いつまでもそうなんだと考えてた。
だけど、あるとき彼は(遠巻きに見守ってたわたしからすれば)急に絵を描き始めた。
そのとき初めて、「あれっ、この人面白いんだな」という目で、彼を見たのだ。
言語化から、抽象化の世界へ
むしろ、るってぃくんが「ブロガー」として活躍してたときのほうが、みんな色眼鏡をかけて眺めていたのかもしれない。
たくさんのフォロワーを抱えて、なにを言ったってそれが賞賛されて。
だからわたしも、その中身じゃなくって、「そういう人」で済ませてたんだと思う。
「憧れは理解から最も遠い感情だよ」
むかし読んでたマンガに出てきた台詞が浮かぶ。
わたしが彼を「面白いな」と感じはじめたのは、彼の絵を見てやっと、「この人、理解されたいんだな」とハッとしたからだ。
17:00 るってぃくん(@rutty07z )の展示を観に、渋谷ブックラボへ!
彼や作品に対面していつも感じるのは「循環」で、なにかが滞っていたり、逆にもうひとふんばりペダルを踏んで躍進したいときに思い浮かぶひとだし絵だなあ。
31日までだそう。コーヒー飲みがてらどうぞ☕️! pic.twitter.com/4f5W4hje9A
— ひよぴ🐑🌹🧹生存戦略 (@hi4r1_xo) August 15, 2019
あるとき、アトリエに遊びに行く機会があって、「なんで絵を描くことにしたの?」と直接聞いてみることにした。
絵を描くどころか、絵を見る人のイメージさえまったくなかったから。
「アウトプットを抽象化したかったんだよね」とだけ返ってきて、やっぱりよくわからないな、と思った。
そこにあった、筆を洗うために使われていたプラスチックのコップがなんだかきれいな模様になっているのを見つけて、返事をする代わりに独り言みたいに褒めてみる。
そしたら「俺、リユースとか環境問題にも興味あるんだよね」とそれをくれて、しかもすごく喜んでくれて、もっとわかんないな、と思った。
この世において、表現以上に気持ちのいい行為をわたしは知らない。
それの深度や精度を上げていった先には、いったいどんな景色が見えてるんだろう。
想像するしかできないことにひりひりして恥ずかしくなるけど、圧倒的なものを見せつけられたおかげで相反する自分をお土産に持って帰れた✌️ pic.twitter.com/NnhS5mn6Wt— ひよぴ🐑🌹🧹生存戦略 (@hi4r1_xo) July 5, 2019
だけど、わかりはじめたのは、むしろそのあとのこと。
自分の家に持ち帰って飾ったコップがぼんやり視界に入ると、フッと「ああ、こういうことを言ってたんかな」って感覚が降りてくる。
そんな体験が、それはもう何回もあったのだ。
たとえば、わたしは言葉がすきで、文章がすきで、それを仕事にして生きていくんだって、こどもの頃から当たり前みたいに決めていた。
でも、正しい日本語の知識を身につけて、整然と並べるたびに「わからない」と言われてしまうことが増えていく。
悲しくなって、疲れちゃって、もうすこししてから、「言葉は”わかったつもり”になるから通じないんだ」とふと気づく。
日本語を「使おう」と心がけているわたし。
母国語だから「使えてるし読めてる」と、そこに疑問を持ったことのない多くの人たち。
そこにはもう、外国語くらい大きくて手ごわい文化のちがいとへだたりがある。
るってぃくんの本当に考えていることはわからないし、本当はだれもわかるはずがないけれど、彼が”抽象化”した世界にはばくぜんと「こういうことかな」と思ってみてもいいんだろう。
だからこそ、彼はそういうアウトプットの方法を選んだのかもしれない。
言語化した情報は「わかったつもり」じゃだめだけど、抽象化した情報は「わかったつもり」で近い景色が見られるから。
それが合っていてもいなくても、そこからのスタートでいいわけだから。
多様性と、マイノリティと、理解の所在とその方法と
様々なマイノリティと事情を抱えて、「マジョリティ」を文字ったこのサイトを作ってみたわたし。
これまで生きてきたなかで、人に「理解されたい」と願ったことはおそらくないし、「理解してほしい」と感じたこともない。
ただそこにあるのは、「理解したい」とか「理解してもらわなきゃ」とか、「正しい情報を伝えなきゃ」みたいな義務感だった。
だって、今、これまでは「ないもの」として扱われていた多様性が、ちゃあんとそこにあると知られはじめている。
時代とともに、その輪郭を浮き彫りにする作業が着々と進められている。
だけど、やっぱりまだその最中だから、グラデーションはあまりない。
だいたいの反応は、「〇〇な人ってこうなんでしょ?」とか、「〇〇にはあてはまらないならちがうんじゃない?」なんてもの。
。
結局、細かい分類をしてそれぞれに名前がつけられただけで、カテゴライズされ直しただけ。
そして、実はそこに不便さが生じるのは、なにもマイノリティ側だけではないのだ。
そもそも、「自分がふつう側であると信じている人たち」は理解が追いついていないから、困っている人たちに腹を立ててみたり、力になれないことにしょげたりするんだもん。
そんなことを、どう伝えようかな、なにができるのかなと、常に思考をめぐらせて、頭を抱えていた一年間だった。
そんなときに、風の噂で「るってぃが個展をやるんだって」と耳にした。
次に目にとびこんできたのは、フライヤーにあった「多様性」についての短い文。
個展のメインビジュアルできました。タイトルは「Suchness」
2020年12月11日(金)〜15日(火) 12:00〜22:00
RECEPTION PARTY:12月11日(金)16:00〜22:00(招待者のみ)
場所:JOINT GALLERY HARAJUKU
住所:渋谷区神宮前3-25-18 THE SHARE1人でも多くの方のご来場楽しみにしてます!もちろん無料です pic.twitter.com/fCX2xqPzxq
— るってぃ/プロ無職 (@rutty07z) November 7, 2020
近いモノを感じていたり、考えていたのかは、やっぱりわからない。
だけどわたしは、今日会場に出向いて、間近で彼の絵に囲まれて、たくさんの「自分を理解してほしいと願ってる人たち」に見てほしいなと思った。
自分を知ってもらうことだけに一生懸命になって、かえって「わからない」と遠ざけられてしまっている人たちに。
いろんな人はいていいし、いろんなやり方があっていい。
だけど、それが正しいとか正しくないとかをジャッジされない方法だったら、もっといい。
最近、ちょっと自分でも絵をかじってみてるので、「この盛り上がってるのはメディウムを使ったの?なんで今回は立体的な作品が多くなったの?」とふたつだけ質問をしてみた。
その回答は言葉につまっていたくせに、そばにいた友人に彼の美容法を聞かれたら意気揚々と話していたので、すごく笑った。
だから、るってぃくんの答えはいつも、彼の絵に聞いてみたらいいんだろうね。
プロ無職るってぃ solo exhibition 「Suchness」の開催情報はこちら!
ちなみにメディウムっていうのは、絵の具にまぜて質感を変えるやつだよ!!!
- 開催日:2020年12月11日(金)〜15日(火)
- 時間:12:00〜22:00
- 場所:JOINT GALLERY HARAJUKU
- 住所:渋谷区神宮前3-25-18 THE SHARE